ゆるまる〜ゆるっとまるっと〜

好きって気持ちでいっぱいです。

2019年2月3日。

2019年1月27日。
私の"当たり前"が、壊れた日。
そして、私の"しあわせ"が、再形成された日。

嵐のFCから初めてメールが届いて、嵐のFC会員限定動画を初めて見た。
それは、初めてにしてはかなりハードな内容で、悲しさと寂しさとやるせなさと、拒否と混乱と困惑を招いた。
私の"当たり前のしあわせ"が、一瞬にして崩れ去った気がした。

……ううん、気がした、っていうか、音を立ててガラガラと崩れ去った。

その日の夜、嵐が開いた会見を見た。
泣いた。ひたすらに、泣いた。
画面の中にはいつもの明るい5人がいて、見たくない会見のはずなのに、いつしか釣られて泣きながら笑ってる私がいた。
どんな質問が飛んできても、しっかり受け止めて答える、私が最も信頼している5人がそこにはいた。

この会見を通して、私の信じること、やるべきこと、新しい"しあわせのカタチ"が見つかった。

嵐が嵐として生きる今を生きていこう、嵐が走り抜けていく今を全力で着いていこう。そう決めた。



1月28日。
いつもの月曜日から、いつもの1週間が始まった。でも、いつもと違う雰囲気だった。
心配してくれる人も、からかってくる人も居た。私が聞きたくない言葉をわざと掛けてくる人も居た。でも昨日と打って変わって、私はほとんど泣かなかった。

だって、会見で5人が笑っていたんだもの。

ここから先は自論展開になるのだが、私の中の「アイドルとファンの関係論」では、ファンもアイドルの外野ということになっている。ファンはあくまでもアイドルを取り巻く"環境"であって、アイドルと一体なわけじゃない。

アイドルである彼ら5人が決めたことなら、外野である私たちファンがあーだこーだ言ったところで、という考え。

だから、5人が決めて明るく笑っているなら、私もそんな風に振る舞うべきだと思った。心の中でめちゃくちゃ怒ったけど、表面上は上手くやり取り出来ていたつもり。

そして夜、翔くんがZEROで「復活はあります」と断言してくれた。例の"無責任質問"に対しても「温度が乗せて想いを伝えられた」とコメントした。やっぱり翔くんは頭が良くてかっこいいなあ、と思った。


1月29日。
"関係者の話"だの"コメンテーターの憶測"だの、私がいちばん恐れてた言葉が飛び交うようになった。
まじでしょーもないからやめてくれ、という気持ちと、聞くだけアホくさい、という気持ちでいっぱいになった。
この、しょーもない、アホくさい言葉を踏まえて、私に話しかけてくる人も居た。私はてめーらよりずっと彼らを見てきてます、知ったかぶりして話しかけてくんじゃねーです、とトゲトゲした気持ちも出来た。


1月30日。
潤くんがEnjoyを更新した。

『これからも伝えるべき事は、自分たちの言葉で伝えていけたら』
『これからも僕らを信じてついてきて頂けたら』
『必ず後悔はさせませんから。』

涙が零れた。心のトゲトゲは溶けてなくなった。

日本中を(下手したら世界中を)駆け巡った様々な憶測を、潤くん自身がやんわり、かつ、はっきり否定した。

誰で情報を流せるようになった世界で、たくさんの真実が溢れる中、たった1つしかない事実は本人が持っている、ということを改めて教えてくれた。

『ようやく髪が切れた✨』

可愛い報告も忘れない、自担はやっぱり民衆を救う女神だった。


1月31日。
大好きな木曜日の大好きなVS嵐で、嵐5人からコメントがあった。

髪を切った潤くんに湧いた。私は通常運転のおたくに戻ってた。

ごめんなさい、という智くんの言葉に、謝らないで、と思えるようになってた。
ババ抜き大会を巡るにのあいのやり取りも、平和だなあと思いながら見てた。

少しずつだけど、彼ら5人の決断を私は受け入れるようになっていた。
2020年まで突っ走る彼らを、全力で追い続けたいと思った。

"活動休止"というワードを聞いても、寂しい気持ちが生まれることはほとんど無かった。

と、思っていた。この時までは。


2月1日。
Mステで「君のうた」と「感謝カンゲキ雨嵐」が披露された。

また泣いた。まじで涙が止まらなかった。しばらく放心状態になった。
もう泣かないだろうなあ、と思ってたのに。
寂しくなんかないもん、と思ってたのに。

自分の気持ちに正直になれてなかったんだな、って気付かされた。

どこか涙目とも取れるような表情を浮かべながらも、5人らしいパフォーマンスを見て、私はいちばん大切なことを思い出した。

彼らは、ファンを外野だと思ったことが、今まで1度も無かった、って。

"嵐"というプロジェクトの表舞台に立っているのが彼ら5人であって、私たちファンも関わってる、いわゆる身内だと考えてくれていたんだ、って。

不特定多数の人が観ているであろうテレビ放送で、翔くんの「Let's get the party started!!!!!」を聞いた時、ファンファースト過ぎると思った。

あの時あの瞬間、あの空間は、ファンと5人だけのものだった。




2月2日、日テレ難民の私は嵐にしやがれ冒頭挨拶を見ることが出来てなかった。Twitterで探せばすぐ出てくるんだろうと分かってはいたけど、どうしてもテレビを通して見たかったから、地元での放送までしばらく待つことにした。2週以上遅れて放送されるはず。(ここで生まれる議題:果たして私はそこまで待てるのか)

2月3日、私はまたしても嵐からのコメントを受け取れなかった。なぜなら読売新聞難民だから。どこで売ってるのか全然分かんない。っていうか、読売新聞を地元で見た記憶が無い。気づいてないだけでコンビニには並んでたんだろうか。ちなみに地元のコンビニは全てファミリーマートである。*1

Twitterで見た紙面には、笑顔の5人と『今日も未来もsmile again』の文字があった。

5人とずっと笑っていよう、改めて心に誓った。



あの日から1週間が経った。
手厚すぎるアフターケア、嵐の優しさが身に染みるほど伝わった。
私は本当に素敵な人たちを好きになったなあと思った。

嵐と出会えて良かったなあと思った。

2020年12月31日以降、私がどんな気持ちで過ごしていくかなんてさっぱり分からないけど、その日が来るまで5人と笑って過ごしていくことだけは確定している。


明日からまた月曜日。
走り続ける嵐に、置いてかれないように、私も走るのみ。






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というわけで、以後通常運転のブログに戻りまーす!!!!!
近況報告に見せかけた翔くんBDブログがお蔵入り()してしまいましたが、NEWSの新アルバムレビューは書く予定ですし、他の推し事も記録程度に書いていくつもりです!!!!!

ここまで読んでくれて、ありがとうございました.☆.。.:.+*:゚+。(完全にオチを見失った)

*1:つまり明日(2月4日)からセブンイレブンで始まるミルチファイル配布は問答無用で参加させてもらえない。無念。